sara’s diary

慢性腎不全 猫

頑張り抜いた10歳の猫 慢性腎不全 闘病の記録 21 さようなら(完結編)

 

2018年4月23日、桜が満開のよく晴れた日、サラは安らかに天国へ旅立ちました。

 

10歳11ヶ月、飼い猫にしては若い死でしたが、寿命を精一杯生き抜いて、家族に勇気と幸せを与え続けてくれました。

 

病名が告げられた日が2017年4月22日。末期と言えるくらいひどい状態だったのに、一年以上頑張ってくれました。主治医からも、本当にすごい猫でした、と後日言っていただきました。

 

 

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死の前日、生きているサラの最後の写真です。

自力でエサの前まで行って座り込んでいました。死の前日まで、後ろ足を引きずってでも自力で歩いて、エサを食べようとしたサラはすごいとしか言いようがありません。

 

 

サラが息を引き取ったと聞いて、花を買ってから帰宅しました。

本当は、仕事終わりに病院で、点滴や薬などを沢山買う予定でいましたが、買わなくてよくなってしまいました。もういいよー!って事だったのかな…?

遺体のまま、しばらく側に置いておきたいと思ったけど、キレイなうちに火葬してあげようと思い、次の日に火葬できるようペット霊園に予約を入れました。

 

サラは、硬く冷たくなってしまっていましたが、いつも通り呼吸をしてそうな、今にもシッポを振ってくれそうな、そんな気がしました。

毛はフワフワでサラの匂いがしました。

 

その日は、サラを隣に置いて、いつもどおり、時々撫でながら、一緒に寝ました。

サラの体に手を置いて眠りに落ちると、サラの体が温かくなってきて、温もりを感じました。生き返って欲しいと思っていたのも影響して、サラが生き返る夢を見ました。

こんな病気なのにまだ頑張れるんだぞ!って私を驚かせる数ヶ月前のサラのようでした。

 

 

次の日、火葬までの間は、箱に入ったサラを抱きながら過ごしました。サラの重みを感じる事ができました。

大嫌いな車に乗せても静かなサラ…

火葬の際、もう骨になるんだ、撫でられないんだ、本当にお別れなんだ、って思ったら、さすがに涙が出ました。

自分の手で骨を可愛い骨壷に入れて、また抱きながら帰宅しました。

お墓はどうしようか、未だにわかりません。気の済むまで家に置いておきたいなと思っています。

 

 

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サラが亡くなってから数日後、サラのエサ置き場から、ガサガサっと音がしたそうです。サラは元気な姿でこの家にいるんだと思いました。

 

 

 

私は、何年も前から、いつか来るサラとのお別れを恐れていました。

絶対に自分はひどいペットロスになる、立ち直れる気がしない、と思っていました。

サラの病気がわかった時は、ひどく落ち込みました。一年後、実際に死んでしまった時よりも、あの時は悲しんで泣いていました。

 

でも、その後、一年間サラが必死に生きてくれたおかげで、

私も沢山サラと一緒に過ごす時間を作る事ができて、

ありがとうも、さようならも、沢山伝える事ができて、

懸命に生きるサラの姿を見ているうちに、闘病生活を共に乗り越えていくうちに、サラの死を受け入れる覚悟がだんだんとできるようになりました。

私の気持ちの整理がつくまで、サラは生きていてくれたのだと思います。

「これがサラの寿命なんだ。一年もの長い間頑張ってくれて、サラとサラの腎臓ありがとう。苦しいなら無理しなくていいよ。その時が来たらどうか安らかに旅立ってね。」と心の底から思う事ができるようになっていたのです。

死んだと聞いた時も自分でもびっくりするくらい冷静で、火葬の時もちゃんと見送る事ができました。

全てサラのおかげです…

 

 

 

それでも、寂しさは、心にぽっかりと空いた穴は、なかなか埋まりません。

大きい音を立ててもビックリするサラはいない…

泣いても寄り添ってくれるサラはいない…

おかえりー!とお出迎えしてくれるサラも、ピョンと飛び乗ってくるサラも、私の話を黙って聞いてくれるサラも、顔をペロペロしてくれるサラも、どこにもいない…

「そんな所に隠れてたのかー!」って、サラを探す事もない…

サラの介護ももうしなくていいんだ…

 

でも、サラは、ちゃんと家族の心の中にいるし、この家にいる。また生まれ変わったら会いに来てくれる。そう思います。

 

 

 

これは、今思えば…なんですが、

病気してからは、ほとんどが水のような透明なオシッコで、それを沢山何度もしていたのに、

死の前夜、黄色っぽいオシッコが出て、

朝には、オシッコ出るのかな?と思って体を起こしてあげても出なくて…

その時点で、死が迫ってるって気づいてあげられていたら仕事休んだのにな…

(その後、死の1時間ほど前にも、黄色っぽいオシッコをしたそうです。)

 

歩けないくらいに、手足(指など)の関節もカチカチに固まってて、その日も家族が手足のマッサージをしてあげたそうです。

きっと体中に尿毒素が充満していたのでしょう…

きっと低体温にもなっていたはずです…

私ももっと沢山マッサージしてあげて、自分たちが暑いって思うくらいストーブをつけて、湯たんぽなどを用意してあげていたら良かったな…

死が近づいていること、もう一緒に寝れる日は少ないことに、ちゃんと気づいていたら、椅子なんかで寝ないで、一緒に早く布団で寝てあげたのに…

あの日の朝、もっと一緒に寝ていたそうだったな…

私は全然気づいてあげられなかった…

 

でも、後から後悔して自分を恨んでも仕方ありません。

残された者は、そういう事ばかり考えてしまいがちです。

サラはギリギリまで普通にしてくれてたのです。必死に頑張ってくれてた。サラに感謝しようと思います。

 

 

寂しくてたまらない。サラにまた会いたい。何度ありがとうを言っても足りない。

ですが、お別れの時は必ず来るものです。最期まで側にいて見送るのが飼い主の使命。この悲しみは乗り越えないといけません。

 

病気辛かったね…よく頑張ったね…サラと一緒にいられて幸せだった。サラも幸せだったはず…それだけで十分です。

 

きっとサラは、苦しい体から解放されて、その辺にいて、おいしい物食べて、日向ぼっこして、遊んでると思います。

 

サラのためにも、楽しかった思い出を沢山思い出してあげて、ありがとうを何度も言いながら、笑顔で前を向いていようと思います!

 

サラは最期まで、可愛くて、優しくて、みんなを幸せにしてくれました!

最後は元気だった頃のサラの写真を載せて、サラの闘病記ブログを締めくくりたいと思います!

 

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