頑張り抜いた10歳の猫 慢性腎不全 闘病の記録 20 天国でも幸せにね
2018年4月のことです。
※一番最後の写真は見たくない方もいらっしゃると思いますので、見たくない方は一番下(3枚目の写真)まで見ないようにご注意ください。
4月上旬の写真です。寝ていることが増えましたが、スヤスヤ寝ているサラを見ているだけで、幸せでした。
前回のブログに書いたとおり、サラの耳にはひどい膿が出来て、全然治りません。
また別の抗生物質が処方され、それが青くて見るからにマズそう…
砕いてご飯に混ぜると、マズそうに、ペッペッって吐き出しちゃうので、粒のまま口に入れ、リキッドフードや水で流し込むことに。
とりあえず、膿で壊死した?皮をハサミで切ってからは、傷口は悪化はしてないように見えたので安心しました。
先生いわく、膿が慢性化してしまっているかもしれない。今飲んでる青い抗生物質は飲み続けても問題ない薬だから、飲み続けた方がいいかも。とのことでした。
ドライフードに関しては、相変わらず自分から食べてくれていたので安心しました。
春になってきて、日向ぼっこをさせてあげることができて嬉しかったです。
空気はまだ寒いですが、日向ぼっこはやっぱり気持ち良さそうだな。
春まで生きていてくれて、ありがとう!
4月中旬になっても、夜だけですが、必ず1日1回はドライフードを食べてくれていて、それが救いでした。
ですが、歩くのも大変そうで、基本的に寝ているように。
後ろ足に力が入らないようで、フラフラで倒れてしまいます。フローリングの上も、スケート靴を履いてるみたいにズルズル滑りながら歩きます。
血の巡りが悪く、手足の関節がカチカチで、変形したまま固まってる状態だったんだと思います。もっと温めて、沢山マッサージしてあげればよかったな…
座る時も、動作がとてもゆっくり。シッポのやり場にも困っていて、なかなか楽に座れる体勢が見つからないようでした。
おしっこも、頑張って数歩歩いた所で(うまく行けばトイレで)しますが、その場でおねしょしちゃうこともしばしば。
私と布団に寝るときは、必ず横に置いてあるトイレでおしっこして、ちゃんと布団に戻って来ようとしますが、時にはそのまま疲れてトイレに座り込んでしまうことも。
それでも晩ご飯になれば、家族が集まるテーブルに乗ろうとしたり(うまく乗れずに落ちちゃったり)、サラなりに一生懸命頑張っていました。
猫は死の直前まで、自分の力で歩いて、自分の力で必死に最後まで生きるという事は、聞いてはいましたが、手足が、体が、こんな状態になっても、本当にちゃんと歩いてジャンプしようとするサラには感銘を受けました。
4月の後半に差し掛かると、夜必ず食べていたドライフードも、食べた形跡があるような無いような、ほとんど減っていない状態でした。
私は仕事も忙しく、帰りが遅くなることもしばしばで、家族とケンカしながら点滴したり、点滴後はすぐに薬を入れてご飯を入れて…と、サラの体に大きな負担をかけてしまいました。
この頃は、リキッドフードも飲み込めなくなってきて、入れてもダラダラ口から出てきてしまいました。
薬も失敗して入れられない事も多々ありました。
膿も悪化してきたようで、傷口の臭いがキツくなってきました。
4/20 夜中、サラはいつもどおり私の腕に顔を乗せて寝ていましたが、腕がびしょびしょに濡れていて目が覚めました。
耳の下のあたりから、膿がタラーッと出ていました。絞ると結構出てきます。大きな血の塊も出ました。無理に絞ると痛そうでした。
4/21 血が混ざった膿がまだ出てきていました。夜中、自力でドライフードの所まで歩いていき、食べたような痕跡がありました。
(食べたとしても少しだけですが、この日までは食べる事が出来ていたのです…)
4/22 前日もでしたが、この日は特に、リキッドフードをシリンジで与えた後、苦しそうにオエーッとなってしまって、急いで寝かせた後も、オエーッ!!ってすごく苦しそうでした。
夜中は、早く布団で一緒に寝てあげればよかったのに、私はまたついつい椅子で寝てしまっていて、ドンッとサラがソファから落ちる音で目が覚めました。寝ながらオシッコをしたため、そこから移動しようとしたようです。
(いつもより黄色いオシッコだな、と思いました。この時は、尿として体の毒素が出たのだから、オシッコするのはいい事だと、気にも止めませんでした。
しかし、後から気づいたのですが、そういえば、死が近い時、黄色いオシッコが出るとネットに書いていました…)
いつもはご飯食べてくれる時間だったのに、食べてなくて、ご飯食べに行きたかったのかな?と思い、連れて行きましたが、食べません。
私がお風呂場に行こうとしたら、足を引きずりながら、一緒に行くー!と必死に歩いてきたので、久しぶりにお風呂場に連れて行きました。ずっとストーブの前に座っていました。
その後、リキッドフードをシリンジで与え、すでに明け方でしたが、私の腕の中で寝せました。
朝、私は仕事に行くため、ゆっくり寝ていられませんでした。2時間くらいしか一緒に布団で寝てあげられませんでした。
(ここ数日こんな感じで、サラには申し訳ない事をしました…)
起きようと、私の腕に乗ったサラの前足を寄せたら、力を振り絞って、またすぐに乗せようとしてきました。もっと一緒にいて!と言っている感じがしました。でも、腕の代わりに枕を差し出しました…
朝のリキッドフードは、ダラダラさせながらも飲み込んでくれたので、そんなに心配する事なく、少し撫でて、サラちゃん行ってきます!って言って、いつも通りの朝でした。
お昼も、いつも通り、家にいる家族に電話して、サラの状態を確認。ご飯なんとか食べてくれたよって、これもいつもの流れ。
13:15頃、家族から電話があり、サラの呼吸がおかしい!ヤバそう!との事でした。
電話の話し方から、本当にヤバそうなんだと思い、とても心配しましたが、
以前も呼吸がおかしくなっても、そのうち落ち着いたし、サラのことだからまた乗り越えてくれるのでは?という気持ちと、
本当はすぐにでも駆けつけたかったのですが、仕事でなかなか帰宅できる状態ではなく、これで死んでしまっても仕方ない。サラは十分頑張ったし、私がいないこの時間を狙って息を引き取ろうとしているなら、死に目を見せたくないなら、それでもいい。という気持ちも少しあり、
家族に、ちゃんとそばにいてあげて。見守っててあげて。と伝えて電話を切りました。
13:44頃、サラが永眠しました、と家族から連絡が入りました。
信じられなかったけど、ついにこの時がきたのかと受け止められる自分もいて、涙はほとんど出ませんでした。
この時のサラの様子を後で家族に聞いたのですが、13:15頃、サラは急に起き上がり、キョロキョロと左右上下を見始めたそうです。
オシッコかな?と思った家族が、サラの体を支えてあげましたが、オシッコではない…呼吸が速い…
その後、バタッと倒れてしばらく呼吸が荒かったそうです。
13:30を過ぎて、次第に呼吸がさらに荒くなり、苦しそうに「ハッ!ハッ!」と口を開いて、手足をバタバタさせたそうです。
それを見ていた家族が、撫でながら、「無理しなくていいよ」と言うと、安心したように、スーッと息を引き取ったそうです。
あっという間の最期でした。
この下に、サラのご遺体の写真を載せます。
苦手な方は見ないでください。
私とサラとのお別れは、次回のブログに書きます。
サラは、安らかに天国に旅立ってくれたと思っています。
私が仕事から帰ると、小さなダンボールに、タオルが敷かれ、その上に安らかな顔で眠る小さなサラがいました。
亡くなった直後は、目や口が開いてしまっていたそうですが、家族が優しく閉じてあげて、左耳の痛々しい傷口を隠すように左側を下にして入れてあげたそうです。
亡くなると、すぐに硬直が進んでしまうようなので、このように早めに綺麗にしてあげるといいんだなと思いました。