頑張り抜いた10歳の猫 慢性腎不全 闘病の記録 22 ありがとう(特別編)
久しぶりのブログ更新です。
サラが亡くなってから2年が経過しました。
あれから我が家は2匹の野良の子猫きょうだい(オスメス)を迎え入れ、私自身は可愛い娘にも恵まれ、やっと心は落ち着き、
元気で可愛かったサラを思い出してほっこりしたり、家族とサラの思い出話を笑って自然にできるようになりました。
そして、サラの遺骨が、ずっと狭い骨壺の中に入って、家の中にあるよりも、外に出たいんじゃないかなぁと思い始めました。
なので、本日2020年5月4日、サラが亡くなった日のように桜が咲いていてよく晴れていたので、桜の木の下にサラのお墓を作ってあげることにしました。
我が家の庭にあるしだれ桜、サラの前に飼っていた幸ちゃんという猫が死んだ時におじいちゃんと植えた記念樹です。16年も前なのでだいぶ大きくなりました。そんな思い出の桜が5月に入った今でもまだ綺麗に咲いていましたので、サラの遺骨はその下に埋めました。
久しぶりに小さな可愛い遺骨を見ながら沢山サラとお話しました。可愛いサラの姿が沢山蘇ってきて、懐かしく、嬉しく、愛おしく、
ありがとう、幸せだったよ、頑張ったねの言葉が沢山溢れてきました。
少し心がすっきりしました。
今でも沢山の方にブログを読んでいただいており、時々コメントもくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
頑張り抜いた10歳の猫 慢性腎不全 闘病の記録 21 さようなら(完結編)
2018年4月23日、桜が満開のよく晴れた日、サラは安らかに天国へ旅立ちました。
10歳11ヶ月、飼い猫にしては若い死でしたが、寿命を精一杯生き抜いて、家族に勇気と幸せを与え続けてくれました。
病名が告げられた日が2017年4月22日。末期と言えるくらいひどい状態だったのに、一年以上頑張ってくれました。主治医からも、本当にすごい猫でした、と後日言っていただきました。
死の前日、生きているサラの最後の写真です。
自力でエサの前まで行って座り込んでいました。死の前日まで、後ろ足を引きずってでも自力で歩いて、エサを食べようとしたサラはすごいとしか言いようがありません。
サラが息を引き取ったと聞いて、花を買ってから帰宅しました。
本当は、仕事終わりに病院で、点滴や薬などを沢山買う予定でいましたが、買わなくてよくなってしまいました。もういいよー!って事だったのかな…?
遺体のまま、しばらく側に置いておきたいと思ったけど、キレイなうちに火葬してあげようと思い、次の日に火葬できるようペット霊園に予約を入れました。
サラは、硬く冷たくなってしまっていましたが、いつも通り呼吸をしてそうな、今にもシッポを振ってくれそうな、そんな気がしました。
毛はフワフワでサラの匂いがしました。
その日は、サラを隣に置いて、いつもどおり、時々撫でながら、一緒に寝ました。
サラの体に手を置いて眠りに落ちると、サラの体が温かくなってきて、温もりを感じました。生き返って欲しいと思っていたのも影響して、サラが生き返る夢を見ました。
こんな病気なのにまだ頑張れるんだぞ!って私を驚かせる数ヶ月前のサラのようでした。
次の日、火葬までの間は、箱に入ったサラを抱きながら過ごしました。サラの重みを感じる事ができました。
大嫌いな車に乗せても静かなサラ…
火葬の際、もう骨になるんだ、撫でられないんだ、本当にお別れなんだ、って思ったら、さすがに涙が出ました。
自分の手で骨を可愛い骨壷に入れて、また抱きながら帰宅しました。
お墓はどうしようか、未だにわかりません。気の済むまで家に置いておきたいなと思っています。
サラが亡くなってから数日後、サラのエサ置き場から、ガサガサっと音がしたそうです。サラは元気な姿でこの家にいるんだと思いました。
私は、何年も前から、いつか来るサラとのお別れを恐れていました。
絶対に自分はひどいペットロスになる、立ち直れる気がしない、と思っていました。
サラの病気がわかった時は、ひどく落ち込みました。一年後、実際に死んでしまった時よりも、あの時は悲しんで泣いていました。
でも、その後、一年間サラが必死に生きてくれたおかげで、
私も沢山サラと一緒に過ごす時間を作る事ができて、
ありがとうも、さようならも、沢山伝える事ができて、
懸命に生きるサラの姿を見ているうちに、闘病生活を共に乗り越えていくうちに、サラの死を受け入れる覚悟がだんだんとできるようになりました。
私の気持ちの整理がつくまで、サラは生きていてくれたのだと思います。
「これがサラの寿命なんだ。一年もの長い間頑張ってくれて、サラとサラの腎臓ありがとう。苦しいなら無理しなくていいよ。その時が来たらどうか安らかに旅立ってね。」と心の底から思う事ができるようになっていたのです。
死んだと聞いた時も自分でもびっくりするくらい冷静で、火葬の時もちゃんと見送る事ができました。
全てサラのおかげです…
それでも、寂しさは、心にぽっかりと空いた穴は、なかなか埋まりません。
大きい音を立ててもビックリするサラはいない…
泣いても寄り添ってくれるサラはいない…
おかえりー!とお出迎えしてくれるサラも、ピョンと飛び乗ってくるサラも、私の話を黙って聞いてくれるサラも、顔をペロペロしてくれるサラも、どこにもいない…
「そんな所に隠れてたのかー!」って、サラを探す事もない…
サラの介護ももうしなくていいんだ…
でも、サラは、ちゃんと家族の心の中にいるし、この家にいる。また生まれ変わったら会いに来てくれる。そう思います。
これは、今思えば…なんですが、
病気してからは、ほとんどが水のような透明なオシッコで、それを沢山何度もしていたのに、
死の前夜、黄色っぽいオシッコが出て、
朝には、オシッコ出るのかな?と思って体を起こしてあげても出なくて…
その時点で、死が迫ってるって気づいてあげられていたら仕事休んだのにな…
(その後、死の1時間ほど前にも、黄色っぽいオシッコをしたそうです。)
歩けないくらいに、手足(指など)の関節もカチカチに固まってて、その日も家族が手足のマッサージをしてあげたそうです。
きっと体中に尿毒素が充満していたのでしょう…
きっと低体温にもなっていたはずです…
私ももっと沢山マッサージしてあげて、自分たちが暑いって思うくらいストーブをつけて、湯たんぽなどを用意してあげていたら良かったな…
死が近づいていること、もう一緒に寝れる日は少ないことに、ちゃんと気づいていたら、椅子なんかで寝ないで、一緒に早く布団で寝てあげたのに…
あの日の朝、もっと一緒に寝ていたそうだったな…
私は全然気づいてあげられなかった…
でも、後から後悔して自分を恨んでも仕方ありません。
残された者は、そういう事ばかり考えてしまいがちです。
サラはギリギリまで普通にしてくれてたのです。必死に頑張ってくれてた。サラに感謝しようと思います。
寂しくてたまらない。サラにまた会いたい。何度ありがとうを言っても足りない。
ですが、お別れの時は必ず来るものです。最期まで側にいて見送るのが飼い主の使命。この悲しみは乗り越えないといけません。
病気辛かったね…よく頑張ったね…サラと一緒にいられて幸せだった。サラも幸せだったはず…それだけで十分です。
きっとサラは、苦しい体から解放されて、その辺にいて、おいしい物食べて、日向ぼっこして、遊んでると思います。
サラのためにも、楽しかった思い出を沢山思い出してあげて、ありがとうを何度も言いながら、笑顔で前を向いていようと思います!
サラは最期まで、可愛くて、優しくて、みんなを幸せにしてくれました!
最後は元気だった頃のサラの写真を載せて、サラの闘病記ブログを締めくくりたいと思います!
頑張り抜いた10歳の猫 慢性腎不全 闘病の記録 20 天国でも幸せにね
2018年4月のことです。
※一番最後の写真は見たくない方もいらっしゃると思いますので、見たくない方は一番下(3枚目の写真)まで見ないようにご注意ください。
4月上旬の写真です。寝ていることが増えましたが、スヤスヤ寝ているサラを見ているだけで、幸せでした。
前回のブログに書いたとおり、サラの耳にはひどい膿が出来て、全然治りません。
また別の抗生物質が処方され、それが青くて見るからにマズそう…
砕いてご飯に混ぜると、マズそうに、ペッペッって吐き出しちゃうので、粒のまま口に入れ、リキッドフードや水で流し込むことに。
とりあえず、膿で壊死した?皮をハサミで切ってからは、傷口は悪化はしてないように見えたので安心しました。
先生いわく、膿が慢性化してしまっているかもしれない。今飲んでる青い抗生物質は飲み続けても問題ない薬だから、飲み続けた方がいいかも。とのことでした。
ドライフードに関しては、相変わらず自分から食べてくれていたので安心しました。
春になってきて、日向ぼっこをさせてあげることができて嬉しかったです。
空気はまだ寒いですが、日向ぼっこはやっぱり気持ち良さそうだな。
春まで生きていてくれて、ありがとう!
4月中旬になっても、夜だけですが、必ず1日1回はドライフードを食べてくれていて、それが救いでした。
ですが、歩くのも大変そうで、基本的に寝ているように。
後ろ足に力が入らないようで、フラフラで倒れてしまいます。フローリングの上も、スケート靴を履いてるみたいにズルズル滑りながら歩きます。
血の巡りが悪く、手足の関節がカチカチで、変形したまま固まってる状態だったんだと思います。もっと温めて、沢山マッサージしてあげればよかったな…
座る時も、動作がとてもゆっくり。シッポのやり場にも困っていて、なかなか楽に座れる体勢が見つからないようでした。
おしっこも、頑張って数歩歩いた所で(うまく行けばトイレで)しますが、その場でおねしょしちゃうこともしばしば。
私と布団に寝るときは、必ず横に置いてあるトイレでおしっこして、ちゃんと布団に戻って来ようとしますが、時にはそのまま疲れてトイレに座り込んでしまうことも。
それでも晩ご飯になれば、家族が集まるテーブルに乗ろうとしたり(うまく乗れずに落ちちゃったり)、サラなりに一生懸命頑張っていました。
猫は死の直前まで、自分の力で歩いて、自分の力で必死に最後まで生きるという事は、聞いてはいましたが、手足が、体が、こんな状態になっても、本当にちゃんと歩いてジャンプしようとするサラには感銘を受けました。
4月の後半に差し掛かると、夜必ず食べていたドライフードも、食べた形跡があるような無いような、ほとんど減っていない状態でした。
私は仕事も忙しく、帰りが遅くなることもしばしばで、家族とケンカしながら点滴したり、点滴後はすぐに薬を入れてご飯を入れて…と、サラの体に大きな負担をかけてしまいました。
この頃は、リキッドフードも飲み込めなくなってきて、入れてもダラダラ口から出てきてしまいました。
薬も失敗して入れられない事も多々ありました。
膿も悪化してきたようで、傷口の臭いがキツくなってきました。
4/20 夜中、サラはいつもどおり私の腕に顔を乗せて寝ていましたが、腕がびしょびしょに濡れていて目が覚めました。
耳の下のあたりから、膿がタラーッと出ていました。絞ると結構出てきます。大きな血の塊も出ました。無理に絞ると痛そうでした。
4/21 血が混ざった膿がまだ出てきていました。夜中、自力でドライフードの所まで歩いていき、食べたような痕跡がありました。
(食べたとしても少しだけですが、この日までは食べる事が出来ていたのです…)
4/22 前日もでしたが、この日は特に、リキッドフードをシリンジで与えた後、苦しそうにオエーッとなってしまって、急いで寝かせた後も、オエーッ!!ってすごく苦しそうでした。
夜中は、早く布団で一緒に寝てあげればよかったのに、私はまたついつい椅子で寝てしまっていて、ドンッとサラがソファから落ちる音で目が覚めました。寝ながらオシッコをしたため、そこから移動しようとしたようです。
(いつもより黄色いオシッコだな、と思いました。この時は、尿として体の毒素が出たのだから、オシッコするのはいい事だと、気にも止めませんでした。
しかし、後から気づいたのですが、そういえば、死が近い時、黄色いオシッコが出るとネットに書いていました…)
いつもはご飯食べてくれる時間だったのに、食べてなくて、ご飯食べに行きたかったのかな?と思い、連れて行きましたが、食べません。
私がお風呂場に行こうとしたら、足を引きずりながら、一緒に行くー!と必死に歩いてきたので、久しぶりにお風呂場に連れて行きました。ずっとストーブの前に座っていました。
その後、リキッドフードをシリンジで与え、すでに明け方でしたが、私の腕の中で寝せました。
朝、私は仕事に行くため、ゆっくり寝ていられませんでした。2時間くらいしか一緒に布団で寝てあげられませんでした。
(ここ数日こんな感じで、サラには申し訳ない事をしました…)
起きようと、私の腕に乗ったサラの前足を寄せたら、力を振り絞って、またすぐに乗せようとしてきました。もっと一緒にいて!と言っている感じがしました。でも、腕の代わりに枕を差し出しました…
朝のリキッドフードは、ダラダラさせながらも飲み込んでくれたので、そんなに心配する事なく、少し撫でて、サラちゃん行ってきます!って言って、いつも通りの朝でした。
お昼も、いつも通り、家にいる家族に電話して、サラの状態を確認。ご飯なんとか食べてくれたよって、これもいつもの流れ。
13:15頃、家族から電話があり、サラの呼吸がおかしい!ヤバそう!との事でした。
電話の話し方から、本当にヤバそうなんだと思い、とても心配しましたが、
以前も呼吸がおかしくなっても、そのうち落ち着いたし、サラのことだからまた乗り越えてくれるのでは?という気持ちと、
本当はすぐにでも駆けつけたかったのですが、仕事でなかなか帰宅できる状態ではなく、これで死んでしまっても仕方ない。サラは十分頑張ったし、私がいないこの時間を狙って息を引き取ろうとしているなら、死に目を見せたくないなら、それでもいい。という気持ちも少しあり、
家族に、ちゃんとそばにいてあげて。見守っててあげて。と伝えて電話を切りました。
13:44頃、サラが永眠しました、と家族から連絡が入りました。
信じられなかったけど、ついにこの時がきたのかと受け止められる自分もいて、涙はほとんど出ませんでした。
この時のサラの様子を後で家族に聞いたのですが、13:15頃、サラは急に起き上がり、キョロキョロと左右上下を見始めたそうです。
オシッコかな?と思った家族が、サラの体を支えてあげましたが、オシッコではない…呼吸が速い…
その後、バタッと倒れてしばらく呼吸が荒かったそうです。
13:30を過ぎて、次第に呼吸がさらに荒くなり、苦しそうに「ハッ!ハッ!」と口を開いて、手足をバタバタさせたそうです。
それを見ていた家族が、撫でながら、「無理しなくていいよ」と言うと、安心したように、スーッと息を引き取ったそうです。
あっという間の最期でした。
この下に、サラのご遺体の写真を載せます。
苦手な方は見ないでください。
私とサラとのお別れは、次回のブログに書きます。
サラは、安らかに天国に旅立ってくれたと思っています。
私が仕事から帰ると、小さなダンボールに、タオルが敷かれ、その上に安らかな顔で眠る小さなサラがいました。
亡くなった直後は、目や口が開いてしまっていたそうですが、家族が優しく閉じてあげて、左耳の痛々しい傷口を隠すように左側を下にして入れてあげたそうです。
亡くなると、すぐに硬直が進んでしまうようなので、このように早めに綺麗にしてあげるといいんだなと思いました。
頑張り抜いた10歳の猫 慢性腎不全 闘病の記録 19 原因不明の膿
2018年3月。
原因不明の膿が出来てしまいました。
※このブログの最後には痛々しい傷口の写真が載ってます。苦手な方は、最後(3枚目)の写真は見ないでください。
3/10 夜のこと。
寝る前、暗い中で、サラを撫でていたら、左耳の後ろが濡れてるなーと気づきました。
傷だとは思わず、ティッシュでグリグリと拭いたり、毛を引っ張ったりしてしまいました。
すると、ビクッと痛そうにするのです。
そして、拭いても拭いてもなかなか取れない…
部屋を明るくしてよく見てみると、傷で、肉?膿?が少し見えてる状態でした!でも、膿がついた毛が傷口を覆っていたこともあり、素人では傷の状態はよくわかりませんでした。
とりあえず、無理にいじってはいけないと思い、肉をくっつける感じで傷口を抑えて、塞いで、かさぶたになるのを待つ事にしました。
(これはあまり良くない処置だったかもしれません。しっかり膿を出して、消毒とかすればよかったかなと反省しています。)
次の日には表面は乾いて、かさぶたになったような気がしました。
ちなみに、前回紹介した、ヒルズの療法食ですが、食いつきがよかったのでネットで購入しましたが、届いた途端また食べなくなってしまいました…頑張ってリキッドフードをシリンジであげました。
(その後も、食べられる日もあれば食べられない日もありましたが、なんだかんだでこのフードにはずっとお世話になりました。)
目ヤニや口臭、体臭もまたひどくなってきました。自分で毛づくろい出来ないので、毎日お湯で濡らしたハンカチで全身を拭いてあげる事にしました。
そして、傷に気がついてから3日後の、3/13。
ハンカチで体を拭いてあげていたら、耳の後ろの傷をカリッと触ってしまいました。
すると、傷口から膿が沢山出てきたのです!
かさぶたが出来て傷は乾いたと思っていましたが、中には膿が沢山溜まっているようでした!実際は、膿がついた毛がカピカピに固まっていただけで、確かに皮膚の下がプニプニしている…(本来は軟骨の場所なので硬いはず…)と気がつきました。
とりあえず、お湯をつけたコットンで表面の膿を拭いてあげて、痛そうにしない程度に、軽くつまむ感じで、膿を絞り出してあげました。
もっと早く気づいて、傷口を塞いだままにせず、拭いてあげたりすればよかったのかも…と反省しました。
病院にはもう連れて行かないと決めていたので、私だけ行って相談してみようと思いました。
次の日、病院で状況を説明し、抗生物質を処方してもらいました。
3月のサラは、
足取りもフラッフラで、涙目で、そろそろ厳しいか…?と思ってしまう日もありましたが、
かつお節をムシャムシャ食べていたり、ヒルズのドライフードをムシャムシャ食べてくれる日もありました!
病気が悪化してからは、サラの可愛い鳴き声をほとんど聞かなくなっていたのですが、以前のように「ニャー!」と何回も鳴いて会話してくれる日もありました!
抗生物質を飲み始めた事も関係があるのか、3月下旬には、食欲が復活!
キャベツのみじん切り入りかつお節を、何回もおかわりしたり、
夜中に一人でドライフード食べてたり、
涙目も口臭体臭も気にならなくなりました。
気になる事と言えば、全然膿が治らないなーということ。
足の内側(床ずれ?)の傷もグチュグチュになってしまい痛そうでした。
あと、この頃、玄関に行ってコンクリートを舐めるように…お風呂場に敷いていた珪藻土マットも舐めるのです…なぜだろう?
それから、うんちもなかなか出なくて、踏ん張って吐きそうになる事もあって心配でした。
でも、基本的に元気そうにしてくれていました!
抗生物質が無くなったので再び病院に相談に行きました。
また膿が時々ビューっと出てくるので、違う種類の抗生物質が処方されました。
3/29。
耳の後ろの傷は悪化し、膿が出ていたところ周辺の皮膚(表面2mm程度の皮)が、触ると、グチュグチュとずれる感じでした。
家族が、私がいない間に、皮膚がパカパカしていて邪魔そうだったからって、皮膚をハサミで切っちゃったんです。
皮膚を切った後の見た目は、肉むき出しで痛々しくてびっくりしました。
でも、全然痛そうじゃなかったそうです。壊死した?皮膚をそのままつけておいても、傷口は乾かないし、膿は治らないし、切ったほうがいいと思ったそうです。
このような事は、自己判断で行わないほうがいいと思いますが、やってしまった事は仕方ない。
傷口から、ばい菌が入ったり、もっと悪化したり、しないか心配しましたが、後日、とりあえず結果的には、肉むき出しの部分は乾いた感じになりました…
続きはまた次回書きます。
毛並みはだいぶ悪くなりました…
※最後に皮膚を切った後の傷口の写真を載せますので、苦手な方はこの先見ないでください!
こんな感じです。耳の後ろ、広範囲に膿が広がっていて、絞ると出てきます。
皮膚を切られてしまったので、膿は絞りやすくなりましたが…おそろしいです…
これだけ膿んでたら相当痛いよね…皮膚切られたら普通は痛いよね…サラは何も感じていない事を祈るばかりです…
頑張り抜いた10歳の猫 慢性腎不全 闘病の記録 18 辛くても頑張り続けてます
こんにちは。
慢性腎不全の苦しい症状が顕著に現れるようになって約1年、何度も死がよぎりましたが、その度に奇跡の回復を見せてくれたサラ。
また回復してくれたように思えたけど、実際はまだまだ辛くて、それでも必死に生き続けていたサラの2018年2〜3月の出来事を書きたいと思います。
久しぶりにウェットフードを食べてくれています。
トイレが間に合わない事もあるので、常に下にトイレシートを敷いています。トイレシートは多分あたたかいと思いますが、ふわふわのタオルも敷いてあげればよかったかな…
前回のブログで書いた通り、日に日に元気になっていたサラでしたが、
2018年2月中旬。
急にドライフードを食べなくなってしまいました。
せっかく、また食べ始めたな!と思って、多めに買うと食べなくなってしまいます。
とりあえず、以前買ってたウェットフードやオヤツの在庫をひたすら開封して、食べられるエサを探しました。
シリンジであげていたリキッドフードの回数も増やさなければ…
一気に足取りもフラフラになってしまいました。
ウェットフードやオヤツはすぐに食べなくなり、気が向いた時にカツオ節は少しだけ食べていました。
少しだけ減らしていた点滴も、また150ml近くまで増やしてみました。
でも、水は一応飲めていましたし、おしっこもちゃんと出ていました。
最近、元気になって動き回るからって、またトイレで点滴するようになったのに、またすぐリビングで出来るようになってしまいました…
うんちも、便秘薬を飲ませているにも関わらず、なかなか出ませんでした。
ずっと座っている事が増えてしまいましたが、シッポは振るし、眠れているようだし、時々甘えたり返事をしたり出来ているようだったので、それは救いでした。
サラの目を見れば、どんなに辛いか伝わってきます。でも、よくわかってあげられなくて、何もしてあげられなくて、悲しかったです。
それでも、辛い中でも、文句一つ言わず、弱音一つ吐かず、じっと耐えて、必死に頑張っていました。自分の力で歩いていました。
動物は本当にすごいです。人間よりもすごいです。
この頃は、仕事の日も、休日でも、帰宅が夜遅くなってしまう事が多々あり、あまり一緒にいられなくて、
一緒にいる時は、エサをやったり、点滴をしたりと慌ただしく、とても申し訳なかったです。
それでもサラは、いつも私に安らぎと温もりを与えてくれました。
その後も、元気のない日々が続きました。
水もシリンジで与えなければいけなくなり、再び口臭が目立ってきました。
骨と皮なので、点滴の針も慣れていても刺しづらい…抱っこしてもフワッと軽い…
夜は前足を私の腕に乗せて腕枕で寝てくれますが、前は腕が痺れるくらい重かったのに、今は全然で……ちょっと寂しかったです。
ちなみに、食べられなくなっても、飲めなくなっても、お腹は空くし、喉も乾くのでしょう!
台所にやってきて、ごはんや水を欲しそうな顔をします。だから、急いで準備すると、無理やり入れられるのがわかって隠れてしまいます(笑)
2月下旬頃は、調子が一段と悪い日もあれば、比較的足取りもしっかりして自分からペーストのオヤツを食べられるような日もありました。
3月に入り、私だけ病院に顔を出した際、ヒルズの腎臓用療法食(ドライフード、チキン味)の試食が置いてありました。試しにもらってきました。
人間が嗅いでみても、いい匂いだなと思いました。
サラもクンクンと嗅いで興味を示してくれて…
3粒ほど食べてくれました!!すごい!!
その後も、このドライフードを結構食べてくれたのです!!
試食では足りず、ネットで購入する事になっちゃいました!!まさかここまで好んで食べてくれるとは!!こんな末期の状態でも美味しく食べてくれていて、もっと早く出会えていたらよかったかな〜とまで思えた、素晴らしい療法食でした!!
水もまた自分で飲んでくれるようになり、本当にすごいなぁと思いました。
おねしょも見られたし、目ヤニも目立ってきたし、足取りもフラッフラでしたが、自分で食べられるという事は何よりもすごい事で、頑張ってるなぁと思いました。
2018/3/3 ヒルズの腎臓用療法食(ドライフード、チキン味)をモリモリ食べているサラです。
ご覧いただきありがとうございました。
頑張り抜いた10歳の猫 慢性腎不全 闘病の記録 17 幸せな日々を噛み締める
こんにちは。
最近は沢山の方がサラのブログを読んでくれていて嬉しいです。
2017年の年末は、ついにもうダメか…と諦めかけてしまいましたが、サラは強かったです。
また幸せな日々が再来した2018年1〜2月のことです。
これは、急にうろうろ部屋を徘徊しだしたサラです。心配はしましたが、それでも力強く爪研ぎをしました。
これは、沢山の点滴を毎日頑張るサラです。以前は抵抗してトイレで2人がかりで行っていましたが、もうその必要はなく、すんなりやらせてくれます。
本当に奇跡みたいですが、2018年1月に入って、サラは日に日に元気になっていったのです。
点滴も逃げるようになったり(笑)、ドライフードも食べてる!シッポ振ったり喉鳴らしたりもまた出来るようになりました!
死ぬ寸前だったのに…人間の方が諦めてたかもしれない…サラは強い子。もっと生きたいんだ。人間は最後まで諦めちゃダメだって思いました。
病気で苦しんでるサラを前にこんな事思ってはいけないかもしれませんが、
サラが病気にならなかったら、こんなにサラと一緒に過ごしてなかったと思います。サラがいることが当たり前で…
思う存分愛情を注いで、ベッタリくっついて過ごす時間を沢山くれているサラには感謝しています。サラも、もっと私と居たいと思ってくれているのかなぁ?
このころの近況としては、まず、体重は、1.8キロまで減少…
あれだけ飲まず食わずが続いてたら仕方ない…
あと、うんちが出ていませんでした。たまに出そうとすると、固くて辛そうで吐いてしまいます。
私だけ病院に行って相談して、以前から便秘の時に処方してもらっていた、シロップの便秘薬をもらってきました。シロップだとあげやすい。
それ以外の薬は、変わらず吐き気どめのみ。薬をやめても回復しているので、再開はするつもりはありませんでした。
ご飯は、一応ドライフードを毎日食べていますが、基本的に、午前中〜お昼の時間帯しか食べなかったので、夜はシリンジでリキッドのご飯を与えました。その時は、水もシリンジで少し与えました。まだ自分から水をあまり飲まなくて、喉が乾くとかわいそうだったので。
点滴は、前回も書きましたが、自己判断で1日150mlを続けています。おかげで、おしっこも沢山しています。犬用のトイレシートが安くて大量に入っているので、それを買ってきて、こまめに変えていました。
1月の下旬になっても、サラは元気で、ドライフードもしょっちゅう食べてくれました。
そして、すごく久しぶりにウェットフード(この時はモンプチ プチリュクスのパウチ)を「ンニャ〜♡」とおねだりして、美味しそうに食べてくれました!
水も自分から飲むようになってきました。(そのため、2月から点滴は120〜130mlくらいに減らしてみることにしました。)
晩ご飯の時間になると、みんなの近くにいて、密かに食べ物を物色するように(笑)
食の好みも変わったのか、以前は食べるはずなかった、山芋とかオレンジジュースとか、酒を舐めることも!(笑)
病気になりたての頃のように、塩辛い物に飛びつくことは減りました。
思い返せば、昨年の今頃は、病気でサラの体に異変が起こって、家中におしっこをしていて、私たちは理由も分からず、ひたすらサラを叱っていました…
あれから、約1年。治療の日々はとても辛く長くて、でも、サラと一緒にいられたかけがえのない時間はあっという間に過ぎていきました。1年は、猫にとっての4年。サラはとても頑張りました。そして、どうやらまだ頑張ってくれそうです。
2018年2月。
一見、本当に元気になったように見えるサラ。
でも、時々ボーッとして固まって、呼吸も速くて苦しそうにする時がありました。
しばらくすると普通の状態に戻るのですが、とても心配でした。苦しむ姿は見たくありませんでした。
おしっこは普通にするのですが、うんちが出にくくて、それで踏ん張って高血圧みたいになるからかな??
2月中旬以降のことは、また次回書きます。
ご覧いただきありがとうございました。
頑張り抜いた10歳の猫 慢性腎不全 闘病の記録 16 またまた奇跡が?!
2018年1月。
サラと一緒に2018年を迎えるなんて、半分諦めていたので、幸せな年明けとなりました。
年末から引き続き、
1/1も21時頃に一度痙攣発作が起きました。
暖かい所で座っていただけなのに、急に起きてしまいました。
前回のブログにも書きましたが、この頃、ご飯をシリンジで無理矢理与えるのが、お互い辛くて、
朝、昼、夜、夜中の多くて4回、10ml程度のシリンジで一本、1mlあたり1kcalのリキッドフードなので、多くても40カロリー弱しかあげられていませんでした。
水も一緒にシリンジで口から与えていましたが、明らかに足りないので、点滴は1.5倍の150ml弱を毎日やっていました。(これは病院からの指示ではなくあくまで自己判断です。)
しかし、1/1以降、痙攣発作が見られなくなったのです。
目ヤニや鼻水は相変わらず見られましたが、口のネバネバや口臭は落ち着いてきたように感じました。
相変わらず寝ている事が多いですが、オエッ!オエッ!という強い吐き気も減ったようでした。
薬は自己判断で吐き気止め以外は中止してから数週間。
サラのストレスはだいぶ減らせたので、いい選択だったと思いました。
一応薬の件は後で病院にも相談しました。
確かに、これ以上有効な薬もないので、吐き気止めのみの継続でいいと思う。とのことでした。
一時は出が悪かったおしっこも最近は良く出てるし、最悪の調子ではなさそうでした。
うんちは数日出ない事もありましたが…
2018年を無事に迎えられて、元気だった頃のように、私の腕の中で朝まで寝てくれている、この日々が幸せすぎて、少しでも長く続くといいなぁと思いました。
1/8は、だいぶ調子が良さそうで、私がソファで横になっていると、ピョンとお腹に乗って甘えてきてくれました!
とても軽かったのですが、久しぶりの事で、とっても嬉しかったです。
その後も、テーブルにピョンと乗ったり、オレンジジュースを舐めたり、肉みそチャーハンに飛びついてムシャムシャ食べ始めたり!!
午後にはドライフードを一握りくらい食べました!!
すごすぎて驚きました!奇跡すぎると思いました!
夜には私の肩にピョンと乗って甘えてきました。不安定な場所ですごいです!
とてもとても幸せな奇跡の1日となりました。
1/9もドライフードを食べて、調子は良さそうに思えました。
しかし、1/10、この日は様子がおかしかったです。
リキッドフードも水も飲み込めず、呼吸もフカフカと速く、遠くを見つめててとても苦しそう。
もう、時間の問題だ…と家族から連絡があり、夕方帰宅。
それでも、フラッフラでもお出迎えしてくれて、見守っているうちに徐々に落ち着いてきて、夜には呼吸も戻りました。
高血圧とか、発作の一種か、そんなところかなと思われました。
1/14、この日は、うんちをしようとして力が入りすぎたのか、(高血圧?)、何回かオエッ!オエッ!となってしまいました。
でも、頑張って踏ん張って、大きいうんちが出ました!
その後も、ドライフードを食べてくれて、調子は良さそうでした。
最近は夜いつも私の腕で寝てくれているので、私は肩こりに悩まされていました(笑)今年の冬はこんな幸せな悩みは味わえないと思っていたのに(笑)
サラは、ししゃも🐟も食べました(笑)
このままもう苦しまないでほしいな。
まだまだ食べる量は少なくてガリガリですが、それでもこのままこうして、ずっとサラと一緒にいられるじゃないかな〜なんて思ったり。
でも、いつかはお別れが来るんだから、神様とサラがくれたこの時間を一日一日大切にしないと。
あと、もう一つ、私の心境にある変化が。
以前までは、サラの腎臓をとても憎んでいました。腎臓さえ病気じゃなかったら、サラは元気だった。10歳という若さで末期と言われる事はなかったのに。サラがかわいそう。って。
でも、その考えが少し変わったのです。
サラの腎臓も、かわいいサラの一部なんだ、って愛おしく思えるというか…
サラの腎臓は、とってもとっても頑張っているんです。こんな状態になっても、命の限り、必死でおしっこを作って、他にも色んな仕事をして、今も頑張ってるんだ。
うまく言えないけど、腎臓の寿命がサラの寿命なんだ…
サラの腎臓ちゃん、いつもありがとう!頑張ってるね!って毎日声をかけるようになりました。
本日はこの辺で。
ご覧いただきありがとうございました。